2011年 01月 09日
1991年生まれ |
正月休みも終わり、さあ、仕事と思いきや、
初日から風邪気味になり、仕事のペースは上がらない。
この2連休も、あきらめ、完全休日とすることに。
仕事にシフトしない頭が、新聞の寄稿に反応する。
8日の朝日新聞夕刊。作家重松清さんの寄稿文。
題名は
1991年に生まれた君へ「逆境で気づく希望の器」。
彼の小説は、何冊か読んでおり、
親の目線で読むと、なんともせつなく、
時には胸が締め付けられそうな思いに、目頭が熱くなる。
しかし、今回の寄稿文では、
彼の作品の根底に流れる希望の光を見た思いがした。
文の一説
前略・・・・・
でも、そもそも希望とは与えられるものなのか。
自分の外で光り輝いているものなのか。
さらにいえば、希望とは未来にあるものなのか?
そうではない。
希望はいまの自分のなかにある。
君の胸の奥には、
希望をたくわえる器が生まれたときから備わっているんだ、と僕は思う。
順風満帆の未来を照らす希望は、
「夢」「期待」「理想」と置き換えられる。
それももちろん大切なのだが、僕がここで話したいのは、
逆境に陥ったとに初めてその存在に気づく、
いまを乗り切るための希望について・・・・・。
・・・・・・後略。
彼の上のお子さんが1991年生まれ、
私の次男も1991年生まれ。
閉塞感が蔓延する時代、この4月から社会に旅立つ長男も含め、
私の息子達に、この寄稿文を読ませた。
一節から
自分の希望の器は、思っていたより華奢だったかもしれない。
意外とじょうぶかもしれない。
器に中身が十分満ちているかもしれないし、
あまりの少なさに愕然とするかもしれない。
いずれにしても、
それは逆境の中でこそ試され、鍛えられる。
・・・・・後略
1991年生まれの彼らは、
今年二十歳になり、大人の仲間入りをする。
政治から始まり、
世の中のあらゆることが混迷している時代だからこそ、
として、希望の器の懐を大きく、
そして柔軟に持ち続けてほしい、と親として思う。
・・・・・明日は1990年生まれの若者達が成人式を迎える。
私は、相変わらず、風邪の抜けきらない状態に・・・・・。
初日から風邪気味になり、仕事のペースは上がらない。
この2連休も、あきらめ、完全休日とすることに。
仕事にシフトしない頭が、新聞の寄稿に反応する。
8日の朝日新聞夕刊。作家重松清さんの寄稿文。
題名は
1991年に生まれた君へ「逆境で気づく希望の器」。
彼の小説は、何冊か読んでおり、
親の目線で読むと、なんともせつなく、
時には胸が締め付けられそうな思いに、目頭が熱くなる。
しかし、今回の寄稿文では、
彼の作品の根底に流れる希望の光を見た思いがした。
文の一説
前略・・・・・
でも、そもそも希望とは与えられるものなのか。
自分の外で光り輝いているものなのか。
さらにいえば、希望とは未来にあるものなのか?
そうではない。
希望はいまの自分のなかにある。
君の胸の奥には、
希望をたくわえる器が生まれたときから備わっているんだ、と僕は思う。
順風満帆の未来を照らす希望は、
「夢」「期待」「理想」と置き換えられる。
それももちろん大切なのだが、僕がここで話したいのは、
逆境に陥ったとに初めてその存在に気づく、
いまを乗り切るための希望について・・・・・。
・・・・・・後略。
彼の上のお子さんが1991年生まれ、
私の次男も1991年生まれ。
閉塞感が蔓延する時代、この4月から社会に旅立つ長男も含め、
私の息子達に、この寄稿文を読ませた。
一節から
自分の希望の器は、思っていたより華奢だったかもしれない。
意外とじょうぶかもしれない。
器に中身が十分満ちているかもしれないし、
あまりの少なさに愕然とするかもしれない。
いずれにしても、
それは逆境の中でこそ試され、鍛えられる。
・・・・・後略
1991年生まれの彼らは、
今年二十歳になり、大人の仲間入りをする。
政治から始まり、
世の中のあらゆることが混迷している時代だからこそ、
として、希望の器の懐を大きく、
そして柔軟に持ち続けてほしい、と親として思う。
・・・・・明日は1990年生まれの若者達が成人式を迎える。
私は、相変わらず、風邪の抜けきらない状態に・・・・・。
by bleis
| 2011-01-09 17:03
| 雑感