2012年 09月 16日
長寿 |
3週間前の日曜日の朝、ベッドに腰掛けようとした母が、
半座り状態で転んでしまい、大腿骨骨折に。
母の寝室は、私の寝室の真上に位置しており、確かに朝、ドンという音がした。
何かなと思いつつ、その後、何も音がしないので、
気にも留めず、朝食をしていると、
母が、上に暮す私の姉(次女)を呼ぶ声が。
この声も、いつものことなので、気に留めず時間が過ぎる。
それから数時間後、姉が下に下りてきて、
母が転んで、足を打ったとのこと。
様子を見ることになったが、
昼になり、昼食を持って来た、隣に住む姉(長女)が、
かなり痛がっているので、救急車を呼ぶとのこと。
そこから、一挙に慌ただしくなり、
119番へ連絡、折り返し救急隊からの確認の電話、
救急車が到着してからの、やり取り、
そして、受け入れ先病院を30分近くかけ、探す。
そして無事、杉並にある、骨折の専門病院に救急搬送される。
母の部屋から、外に出るには、通常の担架では、通過が難しい。
設計した本人(私)、それなりに気をもんでいたが、
いとも簡単に、シートに母を包み、3人の救急隊員で運び出す。
何とかなってしまう物だな〜、
と変に冷静に設計者の目線で観察している自分がいる。
病院では、直ぐ骨折と判断される。
手術は、95歳の高齢のこともあり、
数日かけて、内科的検査の後、4日後に手術と決まる。
医者いわく、内科的にはパーフェクトとのこと。
当の本人、痛みはあるが、精神的にはいたって元気。
手術、その後のリハビリ、と前向きに事をこなし、
来週末には、リハビリの専門病院に転院する。
怪我をする前は、
「長く生き過ぎた」「早く死にたい」をしょっちゅう連発していたが、
怪我をし、それを治療す段になると、
今までの倍以上の活力をみなぎらせている。
あの「長く生き過ぎた」は、何だったのか。
生命力のすごさに感嘆するが、
母の母(私の祖母)も、100歳まで生きた強者。
95歳の母も、きっと怪我に打ち勝って、100歳以上生きる事だろう。
母方の祖父は93歳まで、
父方の祖母はやはり100歳まで、祖父は80歳台後半まで、
なんだか長寿の家系らしく・・・・・・、
100−55(私の歳)=45、
後45年間、どうやって食べていこうか・・・・・・・?
みえない未来に、ため息をついている私がいる。
半座り状態で転んでしまい、大腿骨骨折に。
母の寝室は、私の寝室の真上に位置しており、確かに朝、ドンという音がした。
何かなと思いつつ、その後、何も音がしないので、
気にも留めず、朝食をしていると、
母が、上に暮す私の姉(次女)を呼ぶ声が。
この声も、いつものことなので、気に留めず時間が過ぎる。
それから数時間後、姉が下に下りてきて、
母が転んで、足を打ったとのこと。
様子を見ることになったが、
昼になり、昼食を持って来た、隣に住む姉(長女)が、
かなり痛がっているので、救急車を呼ぶとのこと。
そこから、一挙に慌ただしくなり、
119番へ連絡、折り返し救急隊からの確認の電話、
救急車が到着してからの、やり取り、
そして、受け入れ先病院を30分近くかけ、探す。
そして無事、杉並にある、骨折の専門病院に救急搬送される。
母の部屋から、外に出るには、通常の担架では、通過が難しい。
設計した本人(私)、それなりに気をもんでいたが、
いとも簡単に、シートに母を包み、3人の救急隊員で運び出す。
何とかなってしまう物だな〜、
と変に冷静に設計者の目線で観察している自分がいる。
病院では、直ぐ骨折と判断される。
手術は、95歳の高齢のこともあり、
数日かけて、内科的検査の後、4日後に手術と決まる。
医者いわく、内科的にはパーフェクトとのこと。
当の本人、痛みはあるが、精神的にはいたって元気。
手術、その後のリハビリ、と前向きに事をこなし、
来週末には、リハビリの専門病院に転院する。
怪我をする前は、
「長く生き過ぎた」「早く死にたい」をしょっちゅう連発していたが、
怪我をし、それを治療す段になると、
今までの倍以上の活力をみなぎらせている。
あの「長く生き過ぎた」は、何だったのか。
生命力のすごさに感嘆するが、
母の母(私の祖母)も、100歳まで生きた強者。
95歳の母も、きっと怪我に打ち勝って、100歳以上生きる事だろう。
母方の祖父は93歳まで、
父方の祖母はやはり100歳まで、祖父は80歳台後半まで、
なんだか長寿の家系らしく・・・・・・、
100−55(私の歳)=45、
後45年間、どうやって食べていこうか・・・・・・・?
みえない未来に、ため息をついている私がいる。
by bleis
| 2012-09-16 14:28
| 家族